わざと拙なき筆を染めてその国の門葉に当流相承の趣を示し候

それ聖道の諸教はめでたけれども我等が分に相応せざればその益を得がたし ただ阿弥陀如来弘願念仏の一門のみ才あるもおろかなるもおおなもおのこも選ばず一念無疑なれば無上大利の功徳を得せしめたもうなりまことに機に相応せる教えにして誰かは行じがたからんや されば経には超発無上殊勝の願とときて願行は菩薩のかたに成就して感果は衆生のところにほどこしたもう これを光明寺の和尚は別意の弘誓と釈し又黒谷の先徳は永劫の修行はこれ誰がためぞ功を未来の衆生にゆづりたもう 超世の悲願は又何の料ぞ志を末代の我等に送りたもうと慶喜讃述したまへり

げに時は末法濁乱の世とはいえども専ら弥陀利益の盛りなり 所は粟散(ぞくさん)片州の国なれども大乗経典相応の地なり ことに我が祖師相承の一門弥陀の一教は先に示す如く賢愚を論ぜず男女をえらばず布施を行ぜよとも誓わず身命をすてよとも教えず ただもろもろの雑行雑修自力疑心のひが思いをなげすてて一心一向に弥陀一仏の悲願をたのみわれらが今度の一大事の後生たすけましませと疑いなく思う一念の信心ひとつにてやすく浄土へはまいるべきなり かくの如く信心決得の行者は弥陀如来の心光におさめとられまいらせて一期のあいだは捨てさせたまはざるなり

然ればかかる願力不思議の強縁にひかれて無始曠劫の罪障を滅し順次に必ず無上涅槃の妙果を得んこと何の疑いかあるべき されど凡夫執情のならいにてややもすれば本願を疑いかほどに罪深き身のいかでか往生を得んなどと思うはあさましきこちははべらずや 本為凡夫の誓願にてましますものをと大悲無窮の鴻恩を感佩し ねてもさめても南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と報謝の称名怠慢あるべからず この信決得の上には王法を本とし仁義五常をまもり内心には他力の信心をたくわえて姿に後世者仏法者のふりをなしたまふべからず誠や今世は一夢の如し後生は永生の楽果なれば 誰の人々もおどろきをたてて一念帰命の信心を領解し時時(じじ)に近づく安養の素懐をとぐべきこと肝要に候なり あなかしこ あなかしこ

天保11庚子(こうし)の年初秋上旬

竜谷寺務釈広如 御判

近江国高島郡

十日講

法中

門徒中