高島組記録には十日講の始まりについて正式な記録は見当たらない。

高島組「十日講」の由来で触れたように十日講の始まりは准如上人が今津の泉慶寺に滞留されたことが起縁であることから、泉慶寺の過去帳を紐解いてみると、十日講の始まりは1628寛永5年戌辰の年とされている。その後の記録は1840天保11年庚子の年に広如上人から御消息を下附されるところまで飛んでおり、1628年~1840年までの記録は残っていない。

次に明確に残っている記録は、歴代の組長が管理している「十日講帳簿」(1891明治24年起)で、これには1891年~現在までの会所、御使僧(本山から派遣される布教使)などの記録がなされている。

記録上は空白も多いが、広如上人が御消息を下附されるほどの講であったのだから、1628年~1840年までの212年の間もどんな形式かは計り知れないが十日講は続けて厳修されてきたことが推察される。

また1840年~1891年までの記録も見つかっていないが、それだけの歴史がある尊い御勝縁を我々の先達が絶やすとも考えにくい。

この御勝縁を確かに引き継ぐ私達もまた絶やすことなく繋いでいきたいものです。


十日講関連年表

西暦 和暦 出来事
1593 文禄2 1593文禄2~1614慶長19 浄土真宗の東西分派
1614 慶長19
1628 寛永5 准如上人、泉慶寺へ滞留。十日講のはじまり(泉慶寺過去帳による)
1630 寛永7 准如上人ご示寂
1840 天保11 広如上人御消息 御紐解き
1871 明治4 広如上人ご示寂
1873 明治5 新暦へ改暦
1891
明治24
高島組 「十日講帳簿」を起こす
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組内法中協議により昭和43年度からの輪番(厳修会所の順番)が策定される。
1970
昭和45
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1980
昭和55
総代研修会第一回目。この年以降は毎年開催されることとなる。
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